第91回 ネパール旅行記 (2016/10/25 学習院大学3年 北山将士)

2016年8月中盤、大学三年生の夏休み、僕はカトマンズの山中を、今日会ったばかりのおっちゃんの車で、上下左右の激しい揺れとカーラジオから流れる爆音に耐えながら、車酔いへの怖れと滑落するかもしれない怖れの中を、生贄が行われているというヒンドゥー寺院に向かっていました・・・。

書きなれていない感じの書き出しから始めてみました学習院大学三年の北山将士です。
今回はある寮長の依頼で、8月に行ったネパール旅行について書かせていただきます。
これまで、台湾、ベトナム・カンボジア、モロッコと旅行しましたが、その成功、失敗の体験をふまえ、「あまり過酷過ぎず、なおかつ達成感のある旅行」をしたいと考えました。
6月ごろ、貯めたお金をもとに、夏の旅行をどうしようか考えていた時、偶然、ネットでネパールの旅行記事を見かけ、なんとなくネパールはどうかなぁと考えていた時、7月初めぐらいに「地○の歩き方」のネパール編の新版が出ると聞いて、とりあえず新宿紀伊国屋書店地下一階に向かい、眺めてみました。
1ページの半分くらいの小さい記事でしたが、生贄を行っている寺院、ダクシンカリ寺院についての記事を見つけました。記事には、「山奥にあるヒンドゥーの女神カーリーを祀る寺院で、毎週火曜と土曜にヤギなどの生贄を行っている」とあって、一緒に載せられたプリクラサイズより少し大きめ写真では、ほとんどその全貌がわかりませんでした。
しかし、日本ではおそらく、僕らが小学校の時にやっていたカードゲームぐらいでしか見られないであろう、『生贄』という習慣の本当の姿を見てみたいと思いました。
日本のお寺とは違う独特の雰囲気のチベット仏教寺院、撮影禁止『生き神』のクマリ、ネットの旅行記で評判のネパール料理、チベット料理、他にも行きたい場所、食べたいものはたくさんありました。
7月後半、前期のテスト中も頭はすでにネパールに行ってしまっている状態で、テストが終わるとすぐに、目黒にあるネパール大使館に行って、ビザを申請・取得し、(ネパール到着後でも取得可能だそうですが、大使館というものに行ってみたかったので事前に取得しました)、出発日の8月17日を心待ちにしていました。一つ心配としては、2015年4月に発生したマグニチュード7.8の大地震で、家屋だけではなく、有名な寺院や観光地が多く倒壊し、電気などのインフラも不足気味であると聞いていたので、その点は心配でした。
そうしていよいよ出発の8月17日夜、和歌山の実家から関空に向かい、ネパールに出発しました。バンコクで乗り継ぎの後、18日昼、カトマンズに到着。カトマンズの空港はトリブヴァン国際空港といいますが、本当に首都の空港か疑うほど、小さく、薄暗い空港でした。到着ゲートを出たらすぐ、市内まで行くタクシーの客引き4人ぐらいに付きまとわれながら両替を済ませ(確かこの時、200$をネパールルピーへ両替。これでちょくちょくお土産などを買って4日目ぐらいまで大丈夫だったと思います)、客引きの中から一番人の良さそうな人に決めて、700ルピーで旅行者が多く滞在するカトマンズ市内のタメル地区(写真1)へ向かいました。

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写真1:タメル地区。そこら中にレストランやらゲストハウス、ホテル、両替屋、お土産物屋がならんでいる。道路はあまり舗装されておらず、車が通るたびに埃が巻き上がって、かなり埃っぽい。

ちなみにネパールの通貨はネパールルピー。1ルピー≒1円で、観光地料金以外の物価は全体的にかなり安め。言葉はネパール語ですが、僕は『ナマステ こんにちは』と『ダンニャバード ありがとう』しかわかりません。旅行者に接する職業の人は英語が話せる事が多いです。
注意しなければならないのは、英語、たまにカタコトの日本語(びっくりするぐらい流暢に日本語を話す人も見ました)を流暢に話す、そして無駄に笑顔な人ほど客引きや自称ガイドである確率が高い事です。客引きは、だいたいトレッキングやヒマラヤ遊覧飛行なんかのぼったくり勧誘で、旅行者と見ると、タメル地区にいる限り無限に寄ってきます。
自称ガイドはタメル地区よりも、郊外の観光地に多く、これも外国人と見ると寄ってきます。ガイド資格が無いのに、ガイドもどきをして、法外な料金を要求するというものです。
彼らが日本人をなめているのかなんなのか、日本人には、やたらとしつこく寄ってくるように思います。でも、きつめに、きっぱり断わると、割とすぐ引き下がります。それでも、夜の客引きはさらに怪しさを増します。夜8時頃から、大麻やらなんやら、日本人だと見ると盛んにそういう勧誘が来る事は情けないように思います。
あと、ここでは日本人は中国人とよく間違われます。実際に中国人旅行者はかなり多いです。中国人と間違われて、日本人だと言うと、爽やかな笑顔になり、トウキョー、オオサカー、センダーイなんて言いながら、やっぱりぼったくって来ます。
それでもタメル地区は安価なゲストハウスやホテルが多く、レストラン、両替屋、お土産物屋、外国産の食品や絆創膏程度の医療品を扱う小さいスーパーなどが立ち並び、ここにいる限り、だいたいのものが揃い、外国人旅行者には便利な場所だと思います。

泊まる宿の予約はしていませんでしたが、あらかじめ目星をつけていた一泊1700ルピーで、お湯の出るシャワー付き・Wi-fi付き・自家発電機付き(供給電力は頻繁に停電するため)の条件をクリアしたホテルにチェックインし、やっと担いでいたバックを置いたのは13時ごろ、関空出発から14時間ほどだったと思います。
6日間滞在することになるタメル地区周辺をうろついて位置を確認し、行きたいと思っていたレストラン(写真2)を見つけたりしながら過ごしました。

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写真2:初日の夕飯。行きたいと思っていたレストランで。ダルバートというネパール風の定食?これでたぶん350ルピーだった。真ん中のご飯が無くなると、おかわりを持って来てくれる。

2日目は郊外やタメル地区周辺(写真3)をまわりました。
偶然、その日はお祭りをしていて、どこも人だらけ。

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写真3A:タメル地区から少し離れた場所。真ん中右は笛を売っている人。
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写真3B:笛売りの人。1本600ルピー。僕は買わない。
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写真3C:お祭りの行列。人、人、人で、身動きできなくなる。
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写真3D:タメル地区から少し離れた場所の祠。真ん中の像は何年か前にドラマにもなった『夢をかなえる象』で有名になったガネーシャ。
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写真3E:中央やや左、シャツのおじさんのように、行列の人は、歩きタバコならぬ歩き線香をしていて、火傷するんじゃないか、ややビビりながら行列に着いて行ってみる。

一通りタメル地区をぶらついた後、市内から20分ほどの寺院、スワヤンブナート(写真4)に行きました。ネパールにはヒンドゥー寺院と仏教寺院(チベット仏教も)が混在していて、僕はガイドブックに書いてあるぐらいしか、詳しいことはわかりませんが、ここは仏教寺院で、日本でも有名な鬼子母神を祀るお堂があるようです。

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スワヤンブナートのストゥーパ。ブッダアイと呼ばれる目の模様が印象的。
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スワヤンブナートの周りでも、地震の被害を受けて倒壊した建物が。すぐ横のお土産の露店では、「これは崩れる前の写真が載ってる本だから貴重だよ!」と言って写真集の客引きしていた…なんとも。
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写真4C:猿の親子。この寺にはたくさんの猿が住んでいて、食べ物を持っていると襲撃される。この撮影の直後、近づきすぎて毛づくろいしている親猿に威嚇され、それを近くにいたネパール人の家族連れに笑われた。

二日目はこんな感じにうろうろして終わりました。
長くなりましたので、第二回に続きます。
第二回では、いよいよ生贄が行われるダクシンカリ寺院へ向かいます。

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